アニメ『今、そこにいる僕』感想

1999年~2000年に放送されたアニメです。
大地丙太郎監督の作品は数本見たことがあって(『レジェンズ 甦る竜王伝説』が大好き)、この作品に関してはトラウマになるという評判だけ耳にしたことがありましたが、なるほどだいぶ効きました。

陰惨な展開が淡々と続き、それらがカタルシスのための前振りということもないので、全話見終わった直後が一番苦しかったです。

ひとたび戦争が始まってしまえば無関係の人々が犠牲になって、それは誰かの大切な人で、本来守られるべき子どもたちすら憎しみ合い戦火に飲まれていく。戦争の首謀者は譲れない理由があるわけでも自らが戦って強いわけでもない、カリスマの欠片もない小物。そんな心底しょうもない男を止められたとて、それまでに失われたものが帰ってくることはありません。

絶対に戦争をしてはいけない。それを伝えるために、この物語には奇跡もカタルシスもあってはならない。徹底した陰惨さには、監督が普段得意とするギャグ路線を一切封じて描いた、譲れないメッセージが込められていると感じました。
 

当時反響が大きかったらしい(それはそう)サラもですが、スーンが父親の仇であるナブカを撃とうとしてとっさにナブカをかばったブゥを撃ち、スーン自身も反射的に反撃したナブカに撃たれるシーンが私は一番ショックでした。
視聴翌日もずっと頭から離れなくて、ふと重い気持ちになる瞬間がありました。同時にこの作品が絶対に描きたかったシーンだったのだろうとも感じました。

ブゥは最初から「いかにも死にそうなキャラだ…」と見てはいたけど、ブゥもスーンもまだ幼くて、でもなにかと厳しい目にあうシュウを助けてくれた優しい子どもたちです。そんな彼らが一方的に傷つけられるだけではなく、復讐のために自ら引き金を引き、子ども同士で殺し合い、両者死ぬというのは、苦しすぎる…。

ふたりの死に激昂しながらも、ナブカを撃つことは踏みとどまるシュウと、それに驚くナブカ。
憎しみと悲しみの連鎖を止めなくてはいけないと、とっさにそこまで考えて撃たない選択をしたわけではないでしょう。けれど連鎖の中に飲み込まれ、かつて自分がされたように子どもたちを少年兵にして、任務だからと人を殺めることでスーンという新たな連鎖を生み出していたナブカには、自らが原因となってしまった弟分の死とあわせて、視界が一変するほどの衝撃だったことは想像に難くありません。
 

シュウは戦争が当たり前になっている未来に来てしまっても、一貫して現代日本人的な価値観と倫理観を貫き、決して戦争のための理不尽な行為に加担しようとはしません。それによって周囲に迷惑がかかることも一切顧みないけれど、シュウにとっては従わないことで他人に迷惑をかけることよりも、戦争しようとすることのほうが『おかしいこと』だからです。

その幼稚さにも見える勇気のとばっちりを受けて何度も苛立ってきたナブカは、シュウが己の心を貫き通してナブカを撃たなかったことで、自分自身の行いを仕方ないのだと飲み下すことができなくなっていきます。
長いあいだ人間たちの傲慢さに命を削られてきた少女ララ・ルゥは、初めて出会ったときにこぼした「たすけて」という言葉をどんな目にあっても叶えようとするシュウの姿に、ほんの少しずつ心を開いていきます。
シュウの決して大勢に飲み込まれない在り方は主人公らしく、彼らの諦念を揺さぶりますが、それによって彼らの未来が開かれることはありませんでした。

ナブカはずっと心の支えにしてきた故郷すらとうに奪われていたと知り、戦争に適応してしまった旧友に見限られて致命傷を負い、最期にシュウを助けると「お前は帰れ」と言い残して力尽きます。
ララ・ルゥは彼女を守ろうとしてくれた人たちを自分も守るために残りの命も使い果たし、シュウに「いつかまた一緒に夕日を見ようね」と伝えて消えていく。
そしてシュウがひとり、現代に帰還したシーンで物語は幕を閉じます。
 

愚かな人間も優しい人間もいて、そんな区別なくたくさん死んで、戦争は終わったとしても地球が滅びゆく途中であることすら変えられませんでした。一緒に夕日を見るふたりの姿は美しいものでしたが、「いつかまた」は絶対にない。
見進めるほど絶望と憤りと無力感が胃に溜まっていくような、おそらく製作者の意図通り、ひたすら息苦しくなるお話でした。だから見てよかったと思います。
 

ただサラの未来に残る決断に関してだけは、いや現代に帰ろう!?となってしまいました。

関わりのない子どもたちまで助けようとしたシーンから、サラが母性に目覚めたことはわかります。シスという母を失った子どもたちをそのままにして帰ることもつらいとは思う。シスがサラにそうしてくれたように、これから多くの子どもたちの母として生きる道を選んだのでしょう。
けれど、サラ自身まだ保護者の庇護下で心身を育んでいく途中の子どもなのに…という抵抗感が、どうしても拭えませんでした。

本来庇護されるべき子どもたちすら巻き込まれていく戦争の凄惨さを描いた作品だと認識した上で、それでもサラには両親のもとに帰り、自らを癒すことに専念してほしかったと思ってしまいます。
ナブカやブゥ、他の多くの子どもたちと違って、彼女はその選択肢を選ぶこともできたのですから。

子どもを『母親』にするの、グロいし怖いよ…。